1年前、突然、脳梗塞になりました。私が。
このブログでは何事もなかったかのように過ごしていましたが、この1年間は激動の1年でした。
今回は、脳梗塞になって一年経ったので記録の意味も込めて書きます。
30代中盤の若さで脳梗塞になった
脳梗塞になって、昨日までできていたことが突然できなくなり、
左側に麻痺が出て、高次機能障害(知的、認知的な障害)も出ました。
本当に突然で、旦那も親もみんなが慌てふためき、お医者さんからは、
「最低でも2週間の入院です。それから回復具合によってリハビリ専門の病院に転院してもらうかもしれません。」
と宣告されました。
脳梗塞の症状
麻痺で口が閉じない。お水を飲むこともできない。
話しても麻痺して口が動かないから伝わらない。(呂律が回らない)
目も遠くは見えるけど近くは穴があいているようで見えない部分がある。
書いてある文言が理解できない。(聞いたら理解できる)
一応頭は動いているんだけど、ボーッとしている感じで、リハビリの認知力テストは健常者の平均以下だったらしい。(後に聞いた)
昔のことは覚えているけど、直近で起きたことを覚えられない、覚えが悪い。さっきのことが思い出せない。
左手が動かない、左腕が上がらない。細かい動作ができない。
幸い意識はあって、足までは麻痺がなかったのですが、
去年発症した日の夜は、
「自分はどうなってしまうんだろう。麻痺で水も飲めない、食べれない。しゃべっても呂律が回らず通じない。
まだ30代後半になったばかりで子どもたちも小さいのに、介護される生活になるのか。
旦那の仕事は?子どもたちは?
この先どう生きて行くことになるんだろう。」と思い、
頭の中は、車イスで流動食を食べさせてもらって、口からその流動食を垂れ流す自分の姿しかイメージできず、
不安で不安でたまらなかった。
発症時はなかった詰まった部分が痛くなってきて熱を持ってたり、
高熱が出たりして、不安で過呼吸ぽくなったり、ぜんぜん眠れず、
睡眠薬もらっても合わなくて気持ち悪くなったりして眠れない日々。
脳梗塞からの脅威の回復
でも、本当に不思議でみんなの祈り(願い)がきかれたのでしょうか。
翌日午前にリハビリの先生がどれくらいの大きさの固形物を食べられるかチェックしに来たところ、
脳梗塞発症した翌日の昼ごはんなのに出てきたのは、なんと普通食。
ん?普通食?!
流動食じゃなくって?!!
後から調べたところ、リハビリは早ければ早いほど良いらしくて、まだ麻痺も残っていて舌もうまく動かない、
唇も左側がうまく動かないのに、ビックリ普通食!
気持ち悪かったので少しししか量は食べられなかったのですが、物理的に食べられるようになっていたことにビックリしました。
麻痺が残っていたので舌がうまく動かず、下あごにご飯粒とか残ったりマジで食べにくかったですけどね。
水は発症翌日には飲めるようになっていました。
とりあえず一番の懸念事項の飲食は脳梗塞発症翌日にはクリア。良かった。
発症翌日にはまだ呂律は回らないものの、まだ注意深く聞けば伝わる程度になっていました。
呂律が回るようになったのはいつだったか。。。
けっこう何日か左くちびるが動かなくて、リハビリしている動画が残っています。
脳梗塞発症の2日後には、ほぼほぼ左手の動きは元に戻る。
(リハビリの左右同じ動作をするテストで結果良好だった。)
なので、リハビリは以後高次機能障害のリハビリが中心となりました。
脳梗塞の原因追求のための検査
病院ではリハビリと脳梗塞の原因追求のための検査の日々。
何を調べても原因とならず、一番最後に食道カメラを飲んで心臓を食道側から見る検査。
心臓って、胎児のときに左心房と右心房?を遮る壁に穴が空いていて、生まれて成長するうちに穴がふさがるらしいのですが、
おおよそ5人に一人くらいの割合で大なり小なり心臓の壁に穴があいたまま生きているらしいのです。
(卵円孔とか、心房中隔欠損とか言うらしい。)
穴が小さい場合は、死ぬまで気付かず何もない人もいるとのこと。
食道から心臓を見て、やっと小さい「穴」と言うより、時々開くトンネルの存在を発見。
小さいからか位置が悪いからか、静かに横になっているとトンネルが開かないからか、検査の人たちがすごい苦労してました。
どこで血栓ができたかは検査しても不明でしたが、今回の私の脳梗塞は奇異性。
動脈硬化など一般的に脳梗塞の原因と言われるものと違い、心臓の穴を血栓が通って脳の血管を塞いでしまったとのことでした。
そりゃ健康に人一倍気を使って生きてきて健康診断オールAの人だったのに。
30後半にもなって、先天性異常が原因で死にかけるとか。
そして退院へ
最後の検査が食道カメラで、それが脳梗塞発症1週間後だったんですけど、
検査終了後、お医者さんが
「原因がわかって良かったです!原因がわかったので、じゃ、退院しましょうか。」
って軽く言い出したのですごいビックリ。
え?退院??
2週間は入院じゃなかったの?
展開の速さについていけませんけど。。。
入院した総合病院は急性期の病院で、急病の人の入院は可能だけど、長期入院はできないと言われてはいた。
そしてどういう基準かは私は専門ではないので不明ですが、認知機能や知能が元よりも落ちているだろうけど、
リハビリ入院のために転院するほどのレッドラインでもなかったらしい。
(若いとリハビリで元の状態に戻る速さが速いらしい。)
リハビリの先生も戸惑ってましたよ。リハビリをどこまでやれるかと。
脳梗塞発症して、脳のけっこう広い範囲にダメージを負っている「重症の脳梗塞」と最初の病院で診断された私が、
なんと10日後には退院してリハビリも一応いらない、と放り出されることになるなんて誰が予想していたでしょう。
(旦那と自力で行った病院で救急車を呼べと怒られて、もっと良い治療ができるようにと総合病院に送られた。)
退院してからがもっと大変だった
左側注意欠損が最初のころあったので、車の運転は当面禁止。
車の運転再会のためにリハビリセンターに自力で行けと紹介状を渡されたのですが。
紹介状を持って行ったのにもかかわらず、一見健康そうに見える若い私が普通にリハビリセンターに「かかりたいです。」って言ったら拒否られかけて焦りましたよ。
(リハビリセンターは、病院から直接転院入院して、入院しながらのリハビリが主体だった。)
退院した日のこともすごく鮮明に覚えています。
家に帰ったらすごい家の中がカラフルで、情報量が病院と違って多すぎてすごい混乱。
食欲も落ちて、体力も落ちて、認知機能や知能落ちて、何をするのも大変でした。
周りの人からは、「透けてる。死にそうだけど大丈夫?」って聞かれて、
ああマジで自分は死にかけたんだなーと、退院してから初めて実感したり。(正直入院中は実感なかった。)
脳梗塞発症から1年
もう1年、まだ1年しかたっていなかったのか?!と複雑。
お医者さんにもこの夏の検診で「あれ?まだ1年経ってなかったんですねえ。」と意外そうに言われ、ええ、私も意外ですよ。
こうして前と同じようにiPadminiでブログ打ち込んで、子育てして、家事して、新しい仕事まで初めて。
リハビリセンターも終わって数ヶ月に一回の検診だけになって、
何気ない日常を過ごしていると、脳梗塞発症した日がすごい遠い過去に思えます。
脳梗塞の後遺症はある
自分としては心臓の穴を塞ぐカテーテル手術の後遺症の方が長く続いていてキツイ。
脳梗塞の後遺症は、認知機能と知能の低下は不明瞭だけど、頭痛が起きるようになった。(いままで頭痛知らずだったのに)
カテーテル手術したら頭痛増したのが嫌。
(補足:脳梗塞発症時は頭痛はなし。お医者さん曰く、脳梗塞のときに頭痛はしない!とのこと。)
言葉を口出すときにつまったり、口に出すとき以前よりゆっくり(前は思いついたらパッと言葉が出ていたのが、思いついて口に出すまでタイムラグができる)になる時がある。
(人に言わせるとちょうど良くなったらしいけど。ちょっともどかしい。)
うまく言葉にできないときが稀にあったり、左半身にかなり微弱に違和感を感じだりすることが稀にあったり、
脳がギューってなって変に思うことがある。(うまく言葉にできない)
たまにボーッとして何かするのを忘れたり、短期記憶は苦手になった気がする。(外でトイレ流すのを忘れそうになったり。)
物忘れやボケは脳梗塞のせいなのか、元からなのか、歳なのか不明。
脳梗塞後、脳が安定するまでに2年かかるようなことを言われましたが、そうするとあと一年は必要なのかな。
そして不眠。
最近は改善されてきているけど、まだ眠れないタームに入ることがあって睡眠薬利用中。
一時期は不眠が一番辛かった。睡眠薬効かなかったし。
カテーテル手術の後、なぜか睡眠薬効きやすくなった不思議。日によるけど。
あと去年12月に不安障害でパニックを起こしたり。
なぜか去年11月から血圧が若干高めとか。
脳梗塞起こしても生理は変わらず乱れずに来るんだなーと感心したり。
認知症、高次機能障害のツラさを体験中
脳梗塞になって、認知症ってこういうことかー!っと実感中。
肉体は30代、頭脳はおばあちゃん!にリアルになってしまいましたよ。
認知症の研究してる人に、認知症の人ってこんな感じに考えてます、思ってます、とか情報提供したいくらい!
まだトラウマを引きずって回復していないこととか、
心臓のカテーテル手術の後の体力が戻りきってないとか、頭痛&閃輝暗点、不眠に悩んだりしていますが、
脳梗塞になったのにそれだけの後遺症で収まっていることが奇跡なのかもしれません。
人間、いつどうなるかわからない、と本当に思わされました。
パスワード系はメモに残しておく重要性を深く実感です。
この一年、何事もなかったようにこのブログを続けていましたが、誰も脳梗塞起こした人が書いているとは思わなかったでしょう。
今、私とリアルに会って話した人で私が脳梗塞を起こしたことがあると気付く人はいません。
でも、やっぱり、昔と違うんです。
高次機能障害は傍目からは全くわからないのが辛いんです。
「回復して良かったね。」と言われるし、思うけど、ダメージを負った脳はダメージを受けたままなんです。
正確に言うと治ったのではなく、他の脳の部分が機能を補っているだけなんです。
これから先脳がどれくらい持つのかわからないけど、子どもたちが結婚して子供産むまでは健康に生きていたいです。